中村順子さん 特定非営利活動法人ホームホスピス秋田理事長・同窓会副会長(昭和50年卒) 

私は、秋田市でホームホスピスを2軒と訪問看護ステーションを運営しています。ホスピスというとがん患者の終末医療の場という印象ですが、私が目指すのは、病気や認知症の人たちができるだけ長く自分の家で暮らし、どうしてもそれが難しくなってからも自分らしく暮らせる場を提供することです。

私は昭和50年に秋高を卒業し聖路加看護大学に進み看護師になりました。学生時代から看取りのケアに関心を持ち、考え続け、「看取られる人とそのご家族の安楽って何なの?」と自問自答していました。今のようにエンドオブライフケアとかターミナルケア、家族ケアもきちんと体系づけられていませんでした。私は、どうしたら穏やかにその人らしく人生を終えられるケアができるんだろうか、ご家族にどういう支援ができるんだろうかということを、ものすごく悩みました。

2007年に秋田赤十字看護大学の教員になるまでは、首都圏で訪問看護師をしたり、特別養護老人ホームで働いたり、ケアマネジャーをしたり、看護婦としてずっと在宅領域の看護を実践していました。

そうした中で、家に住み続けたいけど、どうしても住み続けられなくなった方に施設を紹介したりすることがありましたが、まだ介護保険が始まった頃で、その人のことを大切にした、いいケアを提供している施設は数えるほどしかありませんでした。

私は、その人の人生や個性を大切にするケアは大規模な施設ではできない、できるだけ在宅で支援したいと思っていました。そんな中、「30年後の医療の姿を考える会」に入りました。秋高同窓生の秋山正子さんや退院支援で有名な宇都宮宏子さんもいらっしゃってセミナーや市民講座などを開いて活動していましたが、そこですごく大きな影響を受けました。

宮崎県で「かあさんの家」を運営する市原美穂さんに出会ったのもその会でした。視察に行き、目からうろこの体験をし、「これだ!」と思いました。

普通の家を借りて、5,6人で暮らしているんです。そこでお会いしたご夫婦は、奥様がかなり強い認知症で糖尿病もありインスリン注射も必要なんですが、病院だとせん妄が出るので縛り付けられてしまったりしていました。それが市原さんのかあさんの家で暮らし始めたら、せん妄も出なくなり穏やかになりました。そうしたら、肺がんを患っていたご主人が毎日通っててきて、そこに居付いてしまったんだそうです。私も自由人なんで、この自由さがすごくいいなと思って、いつかはこんなホームホスピスをやってみたいなと思いながら2007年に秋田に帰ってきました。

秋田には新聞社にもテレビ局にも行政にも実業界にも、いろんなところに先輩や後輩や同級生がたくさんいて、私がしようとしていた活動をいろんな形で支えていただきました。その頃、私が秋高の「同窓会だより」(平成24年5月31日号)に書いた文章をある大先輩が読まれ、日赤の教員室まで来て「あなたがやりたいことを後押ししてあげるからNPO法人(特定非営利活動法人)を作りなさい」って言ってくださいました。それで2014年にNPOを設立し、2015年に1軒目のホームホスピスを作りました。

1軒目の「くららの家」は、秋田大学の元教官の方の家を借り、そこで5人をお預かりし、訪問介護事務所も作りました。

秋田に戻った理由のひとつには秋田の実情を知りたいということもありました。秋田は、高齢者の割合や人口減少率が第1位です。一方、去年(2023年)の出生数は全県で3611人です。そのうち約半分は秋田市で、それ以外の24市町村で残りの半分です。秋田がどういう対策をしていくのかが本当に大事なことだと思っていたからです。
 

これだけ少子化が進んでいるのですから、もっと子供が産みやすい環境を整えたり、あるいは生まれた子供にうんと手厚くお金かけてもいいと思うんですが、意外にそうでもないというような状況もあったり。それに、市町村でもばらつきがあったりします。

在宅ケアはどうかといえば、私が秋田に来た16~17年前は秋田市の訪問看護ステーションは12カ所で、全県では24カ所でした。それが今は、それぞれ40カ所、80カ所になりました。希望すれば家にい続けることができなくはない状況になっています。でも、今も秋田は自宅で亡くなる人は10.3%と全国平均の17.4%よりもはるかに少ない。ホームホスピスは関西や九州など西日本に多く東北にはまだホームホスピスがない県もあります。


 あらゆる世代、あらゆる健康レベルの人たちに対応して、人の尊厳を守って緩和ケアを提供したい

ナイチンゲールは看護の法則として「生命力の消耗を最小にするように生活を整える」と言っていました。これは健康な人にも当てはまります。自分の持てる力で回復できるように環境を整えるということが、私の実践の基盤です。その基盤の上にホームホスピスや訪問看護、フレイル予防、介護予防があります。くららの家手形山に続き、2021年に土崎に「くららの家土崎港」を作りました。どちらも療養者さん6,7名にヘルパー7名、調理の専門の人がいます。専門といっても料亭の食事ではなく手を掛けた家庭料理です。

朝はキッチンからいろんな音や味噌汁の匂いがして1日が始まったことが感じられます。お散歩に行ったり、いろんなことをしています。もうほとんど1対1です。ホームホスピスでは、第二の家として自分らしく過ごしてほしい。でも集団生活です。私たちは「とも暮らし」と呼んでいますが、いろんなことが起きます。少しは我慢したりしなくちゃいけないし、「とも暮らし」だからこそ、フレイル予防ができたり刺激がある生活が送れるということもあります。皆でひな祭りには着物を着たり、お花見に行ったりします。

療養者の中に大きな声を出す人がいて、それを迷惑がっていた人がいました。でも、その人が入院したら、「くららに帰りたい、彼女の声を聞きたい」っていうんです。「とも暮らし」をしていると、その人が人として持っている力、その人に対するリスペクトが自然に湧いてきます。

これまでの10年間に25名の方を看取りました。看取りとは亡くなるその日まで良く生きていただくケアです。看取りが近くなってきたら一日、一日を大事に大事にする。からだをきれいにして今日はアイスが食べられたとか、お通じが気持ちよくできたとかそんな小さいことを喜ぶ。好きなものを亡くなる数時間前に召し上がって亡くなった人も何人かいます。家族とも一緒にすごしてほしい。家族のあり方もさまざまですから、思うようにいかないこともありますが、「ご家族の一人が旅立つんですよ、一緒に見送りましょう」といってできるだけ一緒にすごしてもらうようにしています。看取りについては言葉通り緩和ケアを介護と看護の連携してチームで行います。

訪問看護ステーションの仕事は、あらゆる人のところ、赤ちゃんのところにも行きますからジェネラリストじゃなければいけません。でも専門性を持ったスタッフもいなければいけません。例えば、がん患者の看護をする専門看護師(CNS)もいます。また助産師が2人いて、赤ちゃんの訪問や精神疾患を抱えたお母さんのところへ行きます。

「近づき、寄り添う看護」というのは私が研究者として導き出した訪問看護のあり方です。個別性の高い看護と生活を支える医療専門職としての役割を果たすことができるように頑張ろうと思っていて、がん看護の専門看護師にはがんサロンなどの活動もやってもらっています。

私たちのホームホスピスは2軒しかありませんし13人しか入れません。ご縁があって繋がった方には人生の物語の最後のところに、私たちも参加させていただきたいと思っています。こうした看護ができる地域を増やしていくことも必要だと思っていて、町内会レベルでもお声を掛けていただければお話をしに出掛けます。秋田のどこにいても、自分らしい最期を在宅で迎えることができるようになることを願っています。