大久保瑠衣さん 秋田魁新報社 記者(平成14年卒)

「面白そう!」と観測隊に応募
秋田魁新報でカメラマンや記者をしてる大久保瑠衣と申します。秋高を2002年に卒業しました。私の父は、かつて秋高が甲子園でベスト4に輝いたときのピッチャー(大久保正)です。その影響もあり、私も学生時代は野球部のマネージャーをしていました。魁への入社当初は営業局で広告担当でしたが、縁あって編集局へ異動し、写真撮影や記事の執筆をしています。
2018年に金足農業高校が甲子園で準優勝した際は、1回戦から決勝まで現地で撮影を担当。2021年の東京オリンピックでは、無観客という異様な雰囲気の中、バドミントン競技を撮影するという貴重な経験もしました。
そんな私が、なぜ南極に行くことになったのか。実は南極観測隊の同行記者は日本新聞協会からの「代表取材」という形で行われます。魁も新聞協会の加盟社であるため社内で公募があり、私は、ただ単純に「面白そう!」と思って手を挙げました。(笑)

観測隊初、激動の「2レグ制(2往復)」
私が同行したのは「第66次南極地域観測隊」です。66回の歴史の中で初めて、南極を2往復する「2レグ制」という新しい輸送・観測体制が実施されました。隊員や研究者を機動的に入れ替え、重点海域での観測をより充実させるためです。
観測船「しらせ」は横須賀からオーストラリア西部の港町フリーマントルへ向かいました。私たちは2024年12月、成田から飛行機でフリーマントルへ飛び、そこで「しらせ」と合流しました。
第1レグ(1往復目)は、フリーマントルから約3週間かけて「昭和基地」へ向かい、物資の補給や前半メンバーの送り迎えを行います。しらせはすぐにフリーマントルに引き返し、第2レグ(2往復目)は 2月下旬に海洋観測の専門家らを乗せて、南極最大級の氷河といわれる「トッテン氷河沖」へ向かいました。ここで船上生活を送りながら海洋観測を行いました。
第66次隊には、「観測隊史上初」がもう1つありました。それは、女性隊長(東京大気海洋研究所の原田尚美さん)です。また、総員114人のうち25人が女性で、女性比率が5人に1人と「史上最高」でした。極地ゆえに女性向けの設備がまだ少ないという課題も見えましたが、非常に活気のあるチームでした。

同行者には学生もおりましたし、通信・機械の技術者、医師、調理師など様々なプロフェッショナルが参加していました。
「しらせ」での規律正しくもおいしい生活
「しらせ」は海上自衛隊が運用しているため、生活スタイルは完全に自衛隊仕様です。朝6時に「総員起こし」でたたき起こされ、すぐに朝食。午前中は船上での海洋観測や船内作業に当たり、11時に昼食、そして夕食はなんと午後5時!非常に規則正しいのですが、夜の8時を過ぎると、もうお腹が空いてしまいました(笑)。部屋は2人1部屋の2段ベッドで、机とロッカーがあり、荷物も十分に持ち込める広さでした。
そして、何よりの楽しみは食事です。海上自衛隊の調理員さんが作るご飯はバリエーション豊かで、飽きることがありませんでした。金曜日は定番のカレー。ハンバーガーなどもメニューに入っていました。
暴風圏と氷を砕く「ラミング」
オーストラリアを出発して南緯40度、50度、60度と南下するにつれ、避けては通れない「暴風圏」に突入します。これがとにかく揺れるのです!
しらせの甲板はビルの5階ほどの高さがあるのに、船首に当たった波のしぶきを頭からかぶってしまうほどでした。お風呂のお湯はあふれ、真っ直ぐ歩いているつもりでも体が傾き、平衡感覚がおかしくなります。
私も酔い止めを用意していましたが、途中で「酔わないコツ」を見つけました。それは「テンションを高く保つこと」(笑)。ジェットコースターに乗っている感覚で、「おお、きたきたー!」と楽しんでいると、不思議と気持ち悪くなりませんでした。
この暴風圏を1週間ほど耐えると、海一面に氷が張り詰めた「流氷域」に入ります。ここからは、普通の船なら一歩も進めませんが、「しらせ」には「ラミング」という必殺技があります。一度船をバックさせて勢いをつけ、氷にドーンと突き刺さる。そのまま氷の上に船体を乗り上げ、船の自重でバリバリバリッと氷を割るのです。

私たち第66次隊では、このラミングを計645回行いました。過去最高だった10年前の5406回に比べれば少ないですが、近年の中では多い方だったようです。早送り動画で見ると爽快に進んでいるように見えますが、実際は氷が厚かったり、雪の摩擦が強かったりして全く進まない日もあり、自然の厳しさを感じました。
白夜の昭和基地と、凍傷寸前の取材現場
流氷域を抜けると、言葉にできないほど美しい氷山の景色が広がっていました。南極の夏は「白夜」のため太陽が沈みません。私は写真を撮るため、しらせに搭載されている大型ヘリで何回も様々な場所へ連れて行ってもらいました。ヘリは凄まじい風圧で、座席はなく荷物の間に埋もれての移動でした。
昭和基地に到着すると、イメージしていた「真っ白な雪の世界」とは異なり、雪はあまりなくトラックが走り回っていました。気温も零度前後と、地元の秋田の冬とそれほど変わりません。ただ、写真を撮るには分厚い手袋をしているわけにいかず、指先が凍傷になりそうなこともありました。携帯電話はもちろん繋がらず、連絡には無線機が必須でした。
また、南極では水が非常に貴重です。お風呂は海水をろ過した水を使い、男女入れ替え制。水の入れ替えは週に1度だけです。日が経つにつれて水がだんだんトロトロしてくるため、シャワーだけで済ませる隊員もいました。しかし、冷え性な私はどんなお湯でも気にせず毎日しっかり湯船に浸かっていました。
観測隊で見つけた「秋田の縁」
秋田から遠く離れた南極ですが、嬉しい「秋田つながり」もありました。
第65次越冬隊(23年11月~25年2月上旬)の斎藤樹(たつき)さんは、気象庁職員ですが、昭和基地で背中に「秋田高校陸上部」という文字が入ったテロテロしたジャージを着ていました。私にとっても高校時代に見慣れたジャージで、懐かしくて二人で記念写真を撮り、魁新報の紙面でも紹介させていただきました。

斎藤さんは秋田出身ではないものの小中高と秋田で過ごし、強い秋田愛を持っていて「ふるさとは秋田だ。いつか秋田で仕事をしたい」と語っていました。また、昭和基地に独自開発のかまぼこ型建物をいくつも建設している大館市の「東光鉄工」から髙坂匡史(こうさかまさし)さんが参加していました。南極は6回目という大ベテランで、観測隊のメンバーからも非常に頼りにされていました。
かわいいペンギン、幻のオーロラ
アデリーペンギンとの出会いも印象的でした。Suicaのペンギンのモデルだそうです。とても人懐っこく、興味津々といった様子でトコトコと歩いて近づいてくるため、普通の広角レンズでもいい写真を撮影することができました。二足歩行の人間に対して何か仲間意識のようなものを感じていたのかもしれません。

一方、夏はほとんど陽が沈まないため、昭和基地からはオーロラが見られませんでした。でも「しらせ」の上で計5回ほど見ることができました。写真に撮ると鮮やかな色に写りますが、肉眼で見ると意外と薄くしかみえません。それでもオーロラが出現すると船内アナウンスが流れ、みんなで厚着をして甲板に飛び出し、夢中でシャッターを切っていました。

4カ月という期間は、長いようであっという間でした。出発前は、「ちゃんと取材ができるだろうか」「いい写真が撮れるか」「寒さや船酔いに耐えられるだろうか」と不安ばかりが募っていました。しかし飛び込んでみれば、目にするものすべてが新鮮でわくわくすることの連続でした。多くの観測隊の皆さんとかけがえのない仲間になれたことを心から誇りに思います。実は昨日もリモートで飲み会をやっていました。南極での経験を踏まえ、今度は北極に行って「両極」を極めてみたい、なんて夢を膨らませています。